会津の納豆屋さん

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Aizu Wakamatsu City Fukushima Pref, Japan会津の納豆屋さん

  地域と共に<食育>      平成19年1月    会津若松市立湊小学校                     ←もどる |



以前よりオファーしていたもののなかなか実現せず、市の農政課の働きがけもあり念願かなって湊小学校での納豆教室。湊は会津若松市内から車で20分ほど東に行った所にあり、小学校周辺は山と畑に囲まれた大自然の中にありました。この日(1月16日)は快晴で積もった雪が一層白く見えた。駐車場で教頭先生が待っていてくれ、入り口ではかっこいい女性校長先生が出迎えてくれた(かっこいいと言うのは校長先生が女性だったからではなくて、なんて言うのかな…、内面からくる何かです)。

校舎内の内装材はすべて木材が使われており床暖房。廊下と教室は壁と扉で仕切られてなく、廊下を挟んで吹き抜けの大きな図書館。納豆教室が行なわれる大食堂は天井が高く自然光が入り、東と南側は全面窓で周辺の壮大な景色が見える。開放的でのびのびと学び食べ遊ぶ最高の環境。ここで全校生徒が一緒に給食をとるらしい。一人っ子が多い昨今、これは実にいいと内心感心。給食室が隣接していてプラスチックガラスで仕切られていた。

これらの造りから湊小学校の教育方針、理念、生徒たちにどう育って欲しいか思いが伝わってくる。児童たちは地産地消の事も納豆の事も当然のようによく知っていた。まだ2、3年生だが注意散漫な生徒はいない。集中力が高いのでしょう、穴があきそうになるくらい視線が痛かった(な、わけないけど)。

写真提供:会津若松市農政課 以下、写真提供:FermentFoodCollaborateCampany


ここ湊地区で会津産大豆コスズは作られているわけで(成長過程はここから見れます→ 地域と共に )、ここの生産者組合の方が「やりましょう」と手を上げてくれなければ会津産大豆は存在しなかったわけです。思い起こせば6年前、無理かもと思っていたし自信もなかった不安だった。身内の一言で背中を押され妻の一言で迷いは飛んだ。走り出したものの問題は山積。その度に身近な人達、 遠くの方々(異業種)の一言と協力に勇気付けられた。助けられ生かされているとつくづく思う。感恩報謝。去年の11月に県の新品種大豆加工適性検査(この件更新しそびれてしまった。過去のはここから→ 大豆加工適正試験 )では、品種改良された今回の大豆が世に出れば「コスズ」は今より美味くなるはず。地産地消の定義、この枠の中で終わらせるつもりはない。そういう意味ではやっとスタートラインに立ったと思っています。



<ちょっと一言>
去年の夏、大学時代の友人が東京からバイクでやって来た。納税課に移動になったなど近況と世間話をして「じゃ、また。」と言って帰る。若い!若すぎ!! 今回、湊小学校の教頭先生は高校の同級生だった。二人とも髪はフサフサ。自分は…何も成してない。髪はだいぶ薄くなった。と言うより頭頂葉部分までが額になった。と言うより髪がない。
平成19年1月28日

<ちょっと一言>
「何もしてないのに気を使わなくていい。削除して」と身内から電話があり削除しようと思ったが読み返して気が変わった。何もしてなくても最初から応援してくれていたのは事実。私としては1回でも「がんばれ」と声をかけてくれた人とは喜びを共有したいという気持ちがある。敬意と感謝の気持ちは万国共通なはず。よって、削除するつもりはない。大きい会社で働いていると色々大変なんですかね?留学経験のあるこの二人、かなり前、声を揃えて言っていた「日本は生きるのに窮屈な時がある」と、日本の企業も変わらなければならない時期かもしれない。この湊小学校のように、のびのびとというわけにはいかないもんですかね。一つ課題を突きつけられた気がしてます。
んっ!思いついた!!"東京で働くみなさん。お疲れでしょう。極上の会津へ癒しにお越しください!"(多分これ削除だね)
平成19年8月26日

削除しなくていいらしい。調子にのってもうちょっと入力してみよう。たまにここに出てくる身内というのは東京に住む親戚です。7年か8年ぐらい前になるかな、仕事で郡山に来たついでに寄ってみたと突然訪ねてきた。12、3年ぶりだった。昔から勝気だったがそのパワーは増していた。高学歴高収入(これは本人の努力だからいいにしても)高慢で高飛車な物言いの嫌な女になっていた(ここで絵文字でも入れると場が和むのかな)。当時私と妻は尊敬する師の下で会社の理念作りと社会的責任や顧客満足の勉強をしていた。今後重要になると思ったからだ。それをも否定的だった。喧嘩になり怒鳴り帰した。何を思ったか半年も経たぬ内にまた来た。後で聞いたらどうもうちの妻に興味があったらしい。それ以来家にはよく来るようになっている。体に気を付けがんばってほしいと思っている。

最後に、ここには出てこないが、我社の社員やパートさんの理解と協力があってここに至ったことは申し上げるまでもありません。(「至る」やっぱ使い方面倒ですヮ。言い方変更2回目。普段メチャクチャに話してんだろうなぁ。読み返すと別な言い方もあるなぁと思うし…なんだかなぁー)。


五代目 元祖白糸納豆